大阪からはダメ?

 セキュリティ機器が一台売れたので、納入先の茨城県へ送る段取りで、大手運送会社へ運んだ。三日後に、機器のセットアップと取り扱い説明に、息子が行く予定だったがキャンセル。リモートでやるようだ。
お互いに望むことなので、これは了解。しかし大阪も嫌われたもんだ。バイキン都市に指定されないように、行政共に頑張らなくてはならない。
そんなわけで午後遅く、大和川堤防へハードテイルで漕ぎ出した。

漕いでいたら、目の前を1mほどのシマヘビが横切り、草むらへ。右から左へ横断したようだ。もっと派手な色でないと、轢きそうになる。
小さなものは、子供の頃はポケットに入れペットにしていたので、傷つけるのは忍びない。

梅雨が早くもやって来そう。五月晴れの中、大山地方へ旅に出ようと思っていたが、今年も無理なようだ。

昨夜鑑賞した「キル・チーム
過去反戦映画は、数多く観てきたが、この作品も傑作のひとつに入る。
二十歳前の新人が前線に配置され、戦争の残酷さに慣らされていくサマが痛ましい。
グアムに通っている頃、しばしば若い兵士と接触したことがある。
深夜、仲間や家族へ見送られグアム国際空港から飛び立つ兵士、離島出身の兵士は死亡率の高い過酷な戦場へ送られる噂が流れていた。
ウエスティンホテルのプールでバイトしていた兄弟の多い長男は、私が弟たちの泳ぐ姿を撮った写真を渡すと、兵役を終え帰国、イパオビーチで私を見つけ挨拶に来た。
関空からグアム行きのエコノミー席で、隣に座った休暇で帰国する兵士、私は機内で配られたハンバーガーをそっと渡すと、気兼ねしながら受け取った。
空母が寄港し、大勢の兵士が上陸し、タモン湾で缶ビールを片手に持った若い水兵、カメラを携え写真を取れと寄ってきた。快くカメラを受け取ろうとしたら、違う一緒に写真に入って欲しいとの事。仲間が私と肩を並べた兵士を撮ってくれた。
みんな寡黙だった。
特にアフガンへ行った若い兵士は、人を殺す経験をさせられたのは想像される。
初めての経験が、上司の地元民を殺す手段に組み込まれていたとすると、その心理は真面目な兵士ほどダメージが大きい。

アメリカでは、警官が拳銃に装填された弾丸だけでは対応できないのか、予備のマガジンを一緒にキャリア出来るホルスターが販売されている。

これだけの弾を装備していると、暴漢をマンストップするのではなく、キルショットを最初から目的としているとしか思えない。