貴重な写真

 昨日は晴天だったので、堺浜へ漕ぎ出し、休息していると、トレックに乗ったローディが私のバイクの写真を撮らせてくれと、話しかけてきた。同じブランドのバイクに興味を持つのは、ライダーの常か…、自分のロードバイクと並べ数枚写していた。

グアムの友人から、貴重な写真が送られてきた。
この時の状況は、ウイキに詳しく載っている。
ミズーリ(USS Missouri, BB-63)は、アメリカ海軍の戦艦。アイオワ級戦艦の3番艦。艦名はアメリカ合衆国24番目の州に因む。その名を持つ艦としては4隻目。当時の大統領であるハリー・S・トルーマンの出身のミズーリ州に因んでミズーリが選定された。太平洋戦争での日本の降伏調印式場となった。1999年からは、ハワイ州パールハーバーで記念艦として保存されている。


「1945年4月11日午後、特攻機(爆装零戦)1機が低空飛行で右舷甲板に突入した。突入機の右翼は第3副砲塔上にぶつかり、燃料に引火した。表面に軽微な損傷を受けたが、速やかに鎮火した。この攻撃の跡は現在も船体に残っている。突入機の操縦員の遺体の一部が40mm機銃座から回収され、ミズーリのウィリアム・キャラハン艦長はこの操縦員を名誉を持って自らの任務を全うしたとして海軍式の水葬で弔うことを決定した。乗組員からは反対もあったが、艦長の命により翌日水葬が執り行われた。この操縦員の官姓名は長らく不詳であったが、ミズーリ記念館の調査の結果、鹿屋航空基地を出撃した第五建武隊の石野節雄二等兵曹機であったと判明した(同時に突入した同じく第五建武隊石井兼吉二等兵曹機の可能性もある。突入できなかった機は対空砲火により撃墜された)。艦上で行われた葬儀はこの1回のみであった。」

ミズーリに零戦が突撃した破損部分

関係者の話として、
「艦長のキャラハン大佐は実弟を日本軍の攻撃で亡くしたにもかかわらず、石野ニ飛曹を「国の為に命を捧げた勇敢な兵士である」と部下を説得し、シーツで仮ごしらえした日本国旗と共に丁重に水葬したそうです。のちに、日米合同で特攻機の遺族を探し出し、件のモニュメント設置に至ったそうです」
 また友人は、
「昔ニューヨークに住んでいた頃、私が日本人だとわかると「昔日本軍と闘っていた」というアメリカ人がいました。彼は太平洋に従軍し艦船で活躍していたそうです。
その時に上官から「突っ込んでくるゼロがいるがあれなダミー(人形)であるから」と言われ「恐れるな」と釘を刺されたそうです。そして実際ゼロが飛び込んでくるのを目の前で見たそうです。まさに写真のように、ですね。その時彼が「あれはどう見てもダミーではない、人間だった。みんな怖くて逃げ出し、いつまでも震えが止まらなかった」と言っていました。彼は「俺は日本軍と闘ったことをいつまでも誇りに思う」と話していたそうだ。


 私の感想は、赤トンボみたいなプロペラ機を左側に見て、言葉が出ない。特攻機の乗員は、何を思って突っ込んで行ったのだろう。
しかし次に起こる戦争は、戦闘機の代わりに、確実にミサイルが撃ち込まれてくる。
商売人が国のトップに居る間、ヘタすると我々人類と言うより、地球の存続が危うくなるかも…