温泉へ行く

昨日はインフルエンザのワクチンを予約していたので、クリニックが開くのを待って済ませてきた。これで年末は、五回目のコロナワクチンも終わっているので、一応安心。
天気予報は終日雨。
そんな訳で和歌山まで車を転がした。長いトンネルを数か所通過、着いた所はミナベ。
有名な南高梅の生産地だ。南部高校が育成した梅林は、二月ごろには花見で賑わう。
温泉で腰の調子も良くなってきた。
今朝は太陽も輝き、清々しい。

 ホテルの朝食会場は、団体客で混雑。観光バスが出発した後は、静かになった。
私はこのホテルのメンバーなので、オープン当時から通っているが、その頃リゾートホテルの概念が一般に浸透していなく、平日などお客は数人の時もあった。
梅林の中の一棟建てなので、警備もし易かったのか、和歌山国体の時は天皇、皇后も宿泊され、今ではかなりの知名度が有る。

実録…アデル

オリックス・バファローズの優勝で、あべのハルカスは、大阪のおばちゃんで大盛況だったらしい。相当のディスカウトでみんなハッピー。

午前中に整体クリニックへ行き、ドクターに別の整形外科病院で撮影したレントゲン写真、MRIの画像を渡す。軽くリハビリをやってもらい、昼から大和川堤防をノルディックウォーキング。もう痛み止めは服用せず、湿布のみ。

夕食の後、録画棚からアデルのドキュメンタリーを再生する。
第59回グラミー賞授賞式で5部門で受賞。
年間最優秀レコード『Hello』、年間最優秀アルバム『25』、年間最優秀楽曲『Hello』の主要3部門に、最優秀ポップ・パフォーマンス(ソロ)『Hello』と最優秀ポップ・ボーカル・アルバム『25』を加えた5部門。
失恋ソングライターの面目躍如だろう。

テレビに出たころは野暮ったかった。

Hello, it's me 今日は、わたしよ…

子育ても一人前だが、絶対子供の写真は撮らせず、プライベートはきっぱり分けていた。

最初に買った豪邸。すでに売り払ったが、世界各地に豪邸を持っている…そうな。

TVのオーディション番組で、アベルは変装してアマチュア参加者に混じり歌ったら、一発でバレてしまい大笑い。

舞台が怖かったので敬遠していた大規模フェスも、カニエ・ウエストの姿を見てその気になった。

007の主題歌も唄い、もう怖いものなし。

それにしても、シャーデーの消息が聞こえてこない。彼女はどうしているのだろう?
アデルと正反対のディーバだから、ひっそりと歌詞でも書いているのだろうか?

苦節11年…涙

何とか歩けるようになったので、午後から公園までノルディックウォーキング。
腰の痛みは残っていたが、往復2キロ完歩した。

このところ数試合、初日に良いスコアを出していたので期待はしていたが、やっと優勝できた金田久美
いつも他の選手とは違うファッションで、観る者を驚かせていたが、かえってそれがパッシングになり辛い目に遭ったらしい。
女子プロゴルファーで33歳と言えば、峠を超えたところ、本人には意地もあったのだろう。
腰痛から身体も思うように動かず、大振りをせずハーフショットを多用、コースマネジメントに徹したようだ。
私は彼女のコースでの練習を観てみたい。想像するに、着古したジャージの上下、起伏のある斜面で必死に狙うグリーン。外れるとクラブを芝に叩き付け、ジャージの袖で涙をふく…
きっと他人と違う練習を、彼女なりに頑張ったと思う。
ここまで来たら白髪になっても紫に染め、フェアウェーに立って欲しいものだ。

それから見ると、この人は至って無邪気。最終ホールのロングもツーオン、果敢にイーグルを狙って逆転を狙ったが、成功しなかった。まだ19歳、ファッションも似合っていた。

アデルのニューアルバム30記念の、一夜限りのロンドンスペシャル公演を鑑賞していた。
続いてインタビューとドキュメンタリーが始まる。

これは日本初なので必見。ところが野球を覗くと、オリックスが1点リードで、村上も三振。私はチャンネルをそのままに野球観戦。しかし痛み止めが効いて来たので、アデルを録画セットでベッドへ向かった。

ギックリ腰再発防止作戦

ギックリ腰の経過は、徐々に良くなってきた。
そんな訳で、昨日はTV観戦が多かった。白眉は国立競技場で行われたチャレンジカップ。
相手はニュージーランド、オールブラックスの面々。
私のお目当ては、アーロン・スミス。何故かと言うと、身長体重が私とほとんど同じ。
大男の中では小柄な方だが、戦う知能とスキルはドウェイン・ジョンソン以上。
この選手が現役でいる間は、日本もなかなか勝利することができないだろう。
私が体重を減らすには、ラグビーでなく、
厳酒と適度なスポーツのギックリ腰再発防止作戦
作戦は練ったが、実践できるかどうかはアーロン・スミスでないので難しい。

男は何度か刑務所へ入ったが、最後に9年間の務めを終え、娑婆に戻ってくる。最初の行き先は、娘の死を知らせてくれたLAに住む元売人。
男は、初めから娘の死が交通事故だったと信用せず、真相を調べにイギリスからやって来た。
この男初老だが、やることは荒っぽい。しかし刑務所生活で覚えたワルの考え方には、独特の推理が働いた。
渋い男の復讐劇、ハードボイルドファンには堪らない。

痛かった長い一日

私は毎朝五時前に起きるが、昨日はそれからが辛かった。
二階の居間から、外階段を使い事務所へ。
ぎっくり腰の痛み止めも効かず、階段を降りるだけでも激痛が腰に響く。這う這うの体で下に着くと、次は扉を開けるのも、カギを差し込めない。やっとのことで解錠、中に入ったところで動けなくなった。
壁や建具を手で押さえ、部屋に入ったらダウン、膝から落ち動けない。
暫く唸っていたが、足の力を振り絞り立ち上がる。
よたよたとシャッタースイッチのところ迄歩き、二か所開けた。外へ出て、蹲踞の姿勢でストレッチをしようとするが無理。
諦め玄関のアプローチ階段を上る。事情を家人に説明すると、朝食を簡単に済ませ、家人は階下へ。整形外科専門の医院へ連絡を取っていたらしい。7時30分から受け付けてくれるようだ。
7時前には家人の運転で、その整形外科へ出発。朝のラッシュの中、半時間以上かかり到着。すでに数十人の患者が待っていた。私も車いすで受付前に。
受付が開くのは8時の定刻。初診は予約の合間に診てくれるらしい。9時過ぎに名前を呼ばれ診察室へ。
ドクターは高齢の男性。家人の癖で、看護師からドクターの年齢は89歳と聴きこんでいた。
でもベテランらしく、私のスポーツ歴や、生活習慣などを聞かれ、ベッドの上に。
ハンマーを持ったドクターは、脚の数か所を叩き、なんか頷いたり、ブツブツ。太ももを抑え足を上げさせ、角度を看護師に書き取らせ、終わりかと思ったらレントゲンを撮るように指示。車椅子でレントゲン室へ。撮った枚数は8枚ほど。廊下で半時間ほど待機し、
再び診察室へ。
ドクターは既に繫々と写真を診ていた。背骨を見ながら独り言ち「髭も少ないし、間隔もそんなに離れているとは思われない。こんなんで手術はしない」
私は激痛から手術も覚悟していた。飲んでいる痛み止めが効かないと言っていたので、少し強い処方箋を書いてくれた。これで終わりと思っていたら「夕方、MRIを撮って、院長に判断してもらおう。私はいないから…」
看護師がすかさず、「夕方4時半迄来てください。その後診察が有ります」
段取りは一方的に決められ、家人の運転で帰宅した。


帰宅しても痛みは引かず、冷蔵庫の豚まんをチンして食す。家人はランチの後、さっさと日課になっているプールへ出陣した。


午後から少し歩けたので車椅子は使わず、MRI室の前へ。
機械は一台なので、半時間ほど待つ。撮影は一時間近くかかった。
その後しばし待合室で待機。夕方の部患者が、次々と入ってくる。五時半に名前を呼ばれ診察室へ。院長はレントゲン写真とMRIの画像を診ていた。
「一か所気になるところはあるが、たいしたことでもない」
背骨の隙間を指さしたが、私には大した事とそうでないことの判断は付かない。
「経過観察やね。今、どうこうするというのでなく、体重を落とせば、すべての問題は解決する」
この答えは私も理解できた。
「体重落とすのは、自転車がいいよ」と院長。「堺浜へは頻繁に漕いでいます」と私。
まさかここで自転車が出てくるとは思わなかった。私は三年以上前からバイクは漕いでいる。私か通う内科クリニックのドクターは、運動で体重を落とすのなら、フルマラソンを走るくらいのトレーニングが必要と言っていた。私はこちらの話を信用する。
病院を出たのは7時過ぎ。正直疲れた。


しかしここには「怖かった長い一日」を過ごした男がいる。
男は新任の麻薬刑事。初日にベテランの刑事と行動を共にすることに。
しかしこのベテラン、善悪の間を揺れ動く悪徳警官。働く場所は、麻薬、殺人が当たり前のデンジャラスゾーン。おまけにロシアンマフィアからは掛け金の取り立てで追い込まれていた。ベテランは「トレーニングデイ」と言って早朝から深夜まで、新任を連れまわす。新任はその間ドラッグを無理に勧められたり、情婦の家へ連れて行かれたり、殺されかけたりする怖い一日。こんな日が続けば、体重も減るはずだ。
だからイーサン・ホークの太った姿は見たことがない。