蒸し暑いが耐えられる

家を出る時、孫娘が浴衣を着て現れた。花火を見に行くらしい。曇っていたので、歩くより漕ぐ方が気持ちが良かろうと、堺浜へ漕ぎだす。

釣り船が、お客を乗せ戻っていく。

昨日も中間点から逆回りする。

クボタの出入り口工事が始まっていた。使い勝手が良くなかったのかもしれない。

大阪湾の掃き溜めに到着。ここは台風時には、湾のゴミが集まる域。ここで収集船が回収していく。

ボラのような魚が浮いているが、カラスも見ているだけ。

ここは臭気があるので退散。

練習を終えたサッカー小僧が、ひと塊で追い抜けない。


空いている河川敷へ降りた。

浄水場前の公園で水分補給。

とおちゃこ。蒸し暑さはさほど気にならず走りやすかった。

MTB 一家

ランチの後、大泉緑地へ漕ぎだす。

まだ秋の気配はない。

両親が見ている前で、小学生の兄と妹が練習している。

父親が私のバイクに興味を持ったのか、いろいろ質問してくる。自分用にMTBが欲しいらしい。「これはいくらしますか?」私は、これはカーボンだから65万です。でもアルミ製なら半分の値で、フルサスが買えますよ。乗ってもいいですよ…
父親は喜んで私のバイクを乗り回し、シートの上げ下げをレバーで操作し、ドロッバーやサスペンションにえらく感激していた。
「失礼ですが、何歳ですか?」「81です」「ひぇー」
隣の若奥さんを指さし「妻ですが、父親は80歳です」
奥さんもニコニコして頷いている。子供たちも寄ってきた。職業も聞いて来たので、以前は建築関係の自営業だと話すと、息子に向かって「おい、社長さんやて、お前もならんとあかんで」
引き際だと思ったので私は「ファミリーでマウンテンバイク乗ると楽しいですよ」
父親「ええ、それがしたいんです」
いい家族や、と思いながら別れた。
その後芝生広場でしばらく漕いで、公園を後にする。

やたら選挙カーが走っている松原市。孫娘の級友のお父さんも市会議員に立候補しているらしい。大阪のお父さんは熱い、おばさんもだが…

クライヴ・オーウェン、この男も熱い。グラマーなモニカ・ベルッチはもっと熱い。

欲求不満解消とはならず

エアコンは付いているのに蒸し暑く、マスクを着けてのレッスンはしんどい。生徒も感染していて、欠席者がちらほら。何とか80分乗り切る。

欲求不満の払しょくに、ランチの後、ノーマスクで大和川堤防へ漕ぎだすがポツリと来た。

構わず漕ぎ続ける。東の方は、まだ空は明るい。

途中で降り出したので、Uターン。

ウェアラブルカメラに、水滴が付きだす。

もうアカン…へダルの漕ぎを早める…

しかし3分後に太陽が出てきた。なんか損した気分だが、タイヤも車体も泥砂と枯草にまみれていたので、洗車して終わりにした。

この作品は、ジャケットと殆ど関係ない。
鑑賞していたが、欲求不満の解消にならず、途中でベッドへ直行した。

大和川、橋回り

ランチの後、曇っていたから、歩いてみようと思い家を出た。
行基大橋上まで到着。ちなみに行基とは、奈良時代の僧で、仏教の布教を行うとともに、各地で池・橋をつくり、堂を建てるなど、社会事業を行った人物で、東大寺の大仏建立に携わったので有名。もちろんこの橋を造ったわけではない。

大和川右岸へ移動。この時点で、Tシャツを絞りたいほど汗を掻いていた。

吾彦大橋の上。名前の由来は地方の豪族、依羅吾彦(よさみあびこ)から来たらしい。

録画していた「犬のお仕事」を再生する。
関空に着いたら、最後のバッゲージ引き取り場所で、犬がお仕事をしている。

バッグに忍ばせた肉や違法植物を探知している。

神経を使い、疲れるようだが、制服姿で仕事をこなしていると、可愛くてご苦労さんと触りたくなるが…ダメです。

セラピーの仕事は、昔飼っていたボルゾイ犬が時々呼ばれていた。

しかし犬と暮らせば、つくづく不思議な動物だと再認識する。

少しお疲れモード

大阪は相変わらずの連日猛暑。それでも堺浜へ漕ぎだした。途中、工事もあったので、逆回りで中間点に到着。

途中で一服しなかったので、凍らせたボトルは、完全にお湯と変身。

生ぬるいのを半分給水。

Jグリーンに寄る。高校生が対抗試合をしていた。父兄もちらほら。

ここで冷たい水を仕入れ、やっと人心地。

大和川の浄水場公園で、たまらず汗を拭く。

ゴール間近で、ほっこりする光景。母子とも、夏休みの思い出に残るだろう。

ロシアがウクライナに侵攻して半年
ソ連時代にもアフガンに侵攻していた。戦車で攻め込むが、戦車長はプーさんみたいなゴリゴリの、侵略好きの理解不能人間。

アフガンのゲリラに追われ、逃走途中に崖を爆破され、ダメージを受けるソ連戦車。

狂気の指揮で部下にも離反される戦車長。

車外に出た戦車長は、アフガンゲリラの妻たちが投げる石に倒れてしまう。
何か今のロシア軍を象徴しているようで、民主国家に暮らす私は、さらなるウクライナ支援を…と願う。