脚力注入

 堺浜へ漕ぎ出す、曇り微風。ローディも少ないし、自粛モードは続いているようだ。普通なら年度替わりで、物流も忙しいと思うのだが…

我々子供のころは、親の会話や新聞にも戦前、戦後の言葉が頻繁に出てきた。それほど第二次世界大戦の前と後では、社会の仕組みが変わったのだろう。これから数十年後、平成、令和より「新コロ前」「新コロ後」が多用されるかもしれない。
満員電車での通勤、通学は廃れ、海外へ行くビジネスも旅行も、スーパーへ買い物に行く感覚になるだろう。生活のすべてがグローバルになり、AIに人類は頼り、生き方そのものが今と違うものになっている可能性は大いに有りうる。
そんな時、再び我々を脅かすのが終末戦争
核による冷戦の決着か、殺人ウイルスの蔓延か、巨大自然災害などこれらを扱った映画は、今まで数多く創られてきた。
核の冬は放射能を含んだ塵が、写真のように地球を覆い、人類は死滅していく。

ビーチの美しさは変わらない今のグアムだが、無人に近い。

渚にて」は、そんな世界を描いている。深海でも活動できる原潜は唯一、放射能を避けて生き延びることのできる乗り物。
しかし南半球の人々は、迫りくる死を甘んじて受け入れ、穏やかに残りの生活を楽しもうとする。

しかし現在の人々は、そんな悠長な事は考えない。
原因を作ったり、隠蔽した国を糾弾する。裁判で国を被告にはできないと弁護士は言っていたが、米国では中国相手に巨額の訴訟が起きている。中国が訴訟を無視しても、裁判官は米国の中国資産を凍結することも可能にするかもしれない。そうなると中国も黙っていない。貿易戦争どころか、第三次世界大戦も視野に入る。
そして遂に終末戦争に…
だから私は「新コロ前」「新コロ後」という言葉を使った。