センチメンタルジャーニー 1

私は長崎に4歳ごろから移住し、高校卒業まで過ごした。
そんな訳で、終活の意味で、その頃を思い出しながら、一週間の旅を企画した。
家人は長崎初心者なので、まずは観光地としての長崎を楽しんでもらうことに心がける。
朝8時半ごろ、海星高校の路地坂を下り、オランダ坂を通過…

長崎ちん電の終点石橋駅に着き、ここからJR長崎駅へ目指す。

JR長崎駅のバスロータリー。しかし周辺が工事中なので、行ったり来たりで、迷路を歩くよう。道案内の警備員もおらず、右往左往する観光客。竣工迄追い込みの時期だが、いささか不親切。

平和祈念像から、原爆資料館へ。ここも沖縄の平和の礎の戦争資料館に比べれば、もう少し改良の余地が有りそう。

そんなことを考えながら、観光都市を目指すなら、関係者の意識が低い…ような気がする。

出島にやって来た。70年前の小学校の教科書に載っていた時から比べると、
テーマパークのようだ。
そこに見えてくるのは、客寄せのための箱モノ作り
ブラタモリにも出ていたが、関係者の意識の低さがハナにつく。

今日のツアーで、一番私にウケたのはこの車。誰が名付けたのか知らないが、役所の連中よりユーモアがある。男も乳がんのリスクがあるので、ジェンダーの垣根が無くなったのかもしれない。

私が通った中学近くの孔子廟、今日に限って踊りのイベントやっていた。
踊りながら、一瞬に顔が変わる驚き。伴奏の音楽とマッチし、中々の優れモノ。
ここの文化財を観ていると、アメリカなどは敵わない文化の奥行きを魅せてくれる。
近い将来、本来の中国に戻り、尊敬される国を目指してほしい。

最後に訪れたのは大浦天主堂とグラバー園。私は直ぐ近くに住み、高校までの10年間を過ごしたので、ドル箱観光地に変わった場所に、なんの感傷的な思いも起きなかった。
むかしの長崎は、日本のチベットみたいな所だった。
中央からのアクセスが悪く、ラジオでも「行く人、来る人」の番組があり、
西の終点から、或いは終点へ移動する人たちの話を聴いていた。
新幹線が繋がり、ますます便利になった長崎。得るモノも有れば失うものもあった。

敬虔な信徒は、何も語らず、ただ祈るだけ…
その時代を見てきた私には、これからの長崎を夢見ることもないし、期待することもない。

ここでツアーとは別れ石橋駅傍のスーパーで、地魚の刺身と夕餉のおかずを背負って、オランダ坂を上り宿舎に戻った。その肩に掛かる重さだけは、母親が感じた苦労を少しだけ味わうことができた。