センチメンタルジャーニー 2

家人は動物好きなので、ペンギン水族館へ連れて行く積りだったが、羽毛の生え変わる時期閉鎖中。そんな訳で、予定を変更して卒業した学校を見に行くことに。
この広場の下に北大浦小学校、そこに三年間在籍した。
この広場で三角ベースの野球をした記憶が蘇る。
小石を新聞紙で硬く包み、周囲を布で覆い縫い上げ、ボールの形を作る。
バットは棍棒。ホームと一塁と三塁の三角。
しかし小学校は、統廃合で消えてしまっていた。

それではと言うことで、転校した浪の平小学校を見に行く。
登下校途中にあるマリア園の前を通った。
ここは児童養護施設。戦争で親を亡くした児童のために、フランス人修道士が設計、
シスターたちが生活を共にしていて、小学校の各クラスに必ず在籍していた。
私のクラスにも居たが、いつも沈んでいた姿を思い出す。

ここを森トラストが買い取り、超高級ホテルに改造中。レンガ造りの外壁を残し、内部はスケルトン状態になっている。

現在のマリア園は、近くに移転し運営は続けているようだが、障害者支援施設になっているので、むかしとは違う運営だろう。

200mほど近くに建っていた浪の平小学校。私はここに四年生から編入、南山手町に住むようになった。ここも統廃合で校舎は消えてしまっている。
ここの思い出は、クラス全員が裏山で、野生植物の勉強をしていたが、男子は遊びに夢中になり、畑の中で追い掛けっこ。1人が畑の隅に隠れていた肥えタゴにダイビング。
あとは想像にお任せする…
トンデモない結末に、半世紀経っても、笑い話の種になっていた。

正面の高台の建物は、長崎海洋気象台。現在は単なる地方気象台変わったが、私の家はこの敷地の中の官舎だった。当然消えてしまって、大きなクスノキが残っているだけ。
右の茂った立樹の敷地は、ロシア領事館のモノだと言い張っているので、日本人は手を付けていないが、場所がイイので早く没収して長崎市のモノにすればいいのに…
といつも思っていた。

この坂を登れば自宅に近づくので、私には生活道路だった。

時間つぶしに、長崎初心者の家人を連れ、稲佐山へ行くことにした。
長崎駅から路線バスを利用、ロープウエーで頂上へ…

長崎港の外海に、昨日見学した軍艦島が浮かんで見える

眼を左に転ずれば、ジャパネットたかたグループが運営するサッカー場が建設中。

稲佐山から下りて向かったのは、わが母校、長崎県立西高
当時は木造二階建て、今はグランドにプールも出来、水球は強いらしい。
しかし私にイイ思い出は少ない。
完全なる受験校だったので、楽しい思い出は少ない。

しかし歩き疲れた表情
三年になると、日本史が専門の担任、進路指導で私に相談もせずに、母親には料理人になることを薦めたらしい。アホか…本人が先やろう。
順番を間違えるような奴に、歴史を教えてもらったのは間違いだった。

そんなボヤキを吐きながら、今日は遅刻坂を下りて行った。