痛かった長い一日

私は毎朝五時前に起きるが、昨日はそれからが辛かった。
二階の居間から、外階段を使い事務所へ。
ぎっくり腰の痛み止めも効かず、階段を降りるだけでも激痛が腰に響く。這う這うの体で下に着くと、次は扉を開けるのも、カギを差し込めない。やっとのことで解錠、中に入ったところで動けなくなった。
壁や建具を手で押さえ、部屋に入ったらダウン、膝から落ち動けない。
暫く唸っていたが、足の力を振り絞り立ち上がる。
よたよたとシャッタースイッチのところ迄歩き、二か所開けた。外へ出て、蹲踞の姿勢でストレッチをしようとするが無理。
諦め玄関のアプローチ階段を上る。事情を家人に説明すると、朝食を簡単に済ませ、家人は階下へ。整形外科専門の医院へ連絡を取っていたらしい。7時30分から受け付けてくれるようだ。
7時前には家人の運転で、その整形外科へ出発。朝のラッシュの中、半時間以上かかり到着。すでに数十人の患者が待っていた。私も車いすで受付前に。
受付が開くのは8時の定刻。初診は予約の合間に診てくれるらしい。9時過ぎに名前を呼ばれ診察室へ。
ドクターは高齢の男性。家人の癖で、看護師からドクターの年齢は89歳と聴きこんでいた。
でもベテランらしく、私のスポーツ歴や、生活習慣などを聞かれ、ベッドの上に。
ハンマーを持ったドクターは、脚の数か所を叩き、なんか頷いたり、ブツブツ。太ももを抑え足を上げさせ、角度を看護師に書き取らせ、終わりかと思ったらレントゲンを撮るように指示。車椅子でレントゲン室へ。撮った枚数は8枚ほど。廊下で半時間ほど待機し、
再び診察室へ。
ドクターは既に繫々と写真を診ていた。背骨を見ながら独り言ち「髭も少ないし、間隔もそんなに離れているとは思われない。こんなんで手術はしない」
私は激痛から手術も覚悟していた。飲んでいる痛み止めが効かないと言っていたので、少し強い処方箋を書いてくれた。これで終わりと思っていたら「夕方、MRIを撮って、院長に判断してもらおう。私はいないから…」
看護師がすかさず、「夕方4時半迄来てください。その後診察が有ります」
段取りは一方的に決められ、家人の運転で帰宅した。


帰宅しても痛みは引かず、冷蔵庫の豚まんをチンして食す。家人はランチの後、さっさと日課になっているプールへ出陣した。


午後から少し歩けたので車椅子は使わず、MRI室の前へ。
機械は一台なので、半時間ほど待つ。撮影は一時間近くかかった。
その後しばし待合室で待機。夕方の部患者が、次々と入ってくる。五時半に名前を呼ばれ診察室へ。院長はレントゲン写真とMRIの画像を診ていた。
「一か所気になるところはあるが、たいしたことでもない」
背骨の隙間を指さしたが、私には大した事とそうでないことの判断は付かない。
「経過観察やね。今、どうこうするというのでなく、体重を落とせば、すべての問題は解決する」
この答えは私も理解できた。
「体重落とすのは、自転車がいいよ」と院長。「堺浜へは頻繁に漕いでいます」と私。
まさかここで自転車が出てくるとは思わなかった。私は三年以上前からバイクは漕いでいる。私か通う内科クリニックのドクターは、運動で体重を落とすのなら、フルマラソンを走るくらいのトレーニングが必要と言っていた。私はこちらの話を信用する。
病院を出たのは7時過ぎ。正直疲れた。


しかしここには「怖かった長い一日」を過ごした男がいる。
男は新任の麻薬刑事。初日にベテランの刑事と行動を共にすることに。
しかしこのベテラン、善悪の間を揺れ動く悪徳警官。働く場所は、麻薬、殺人が当たり前のデンジャラスゾーン。おまけにロシアンマフィアからは掛け金の取り立てで追い込まれていた。ベテランは「トレーニングデイ」と言って早朝から深夜まで、新任を連れまわす。新任はその間ドラッグを無理に勧められたり、情婦の家へ連れて行かれたり、殺されかけたりする怖い一日。こんな日が続けば、体重も減るはずだ。
だからイーサン・ホークの太った姿は見たことがない。