泣き止まぬイパオビーチ

ライフガードに、あんたは何でイパオビーチばかりで泳ぐのか?
過去に聞かれたことがあった。
このビーチが好きだから…答えはそれしかなかった。
すると相手は、きっとイパオビーチも、あんたが好きなのだろう。

終日雨で、初めて海へ入らなかった。

さすがにローカルの姿は見えない。

渚に人影はない。

やっと韓国のファミリーが訪れ、雨の中を子供たちが海に入った。きっと短いツアーなのだろう。

私はレンタカーを満タンにすると、空港のニッサンへ返却に行った。

日ごろ込み合うタクシーや観光バスも見当たらず、寂しい空港玄関。

果たしてグアムは昔のような観光島に戻るのか…
私の考えは否。この島は大なり小なり、ミリタリーの島、基地の島だ。
中国や北と紛争が起これば、沖縄とグアムは最初に攻撃される。かの国のミサイルは、確実に照準を合わせているので、ウクライナのように地続きで隣に逃げ込むことはできない。
先日も、不審な中国人が9名、東側のパゴ湾近くから密航していて逮捕された。今回が初めてでなく、何度も繰り返されるのは、貧しい漁民が漁を求めてきたとは誰も考えていない。
麻薬戦争で撮られた傑作、ボ-ターラインは、銃で撃ち合う前に熾烈な情報戦がストーリーの元になっている。
グアムでは既に、その範疇に入り込んでいると思っても間違いないだろう。


要するに島の経済は観光より、ミリタリーの存続で潤っていて、空母が寄港すれば、一晩で数千人の水兵が上陸し散財する。
いかに韓国やアジアの観光客が来島しても、その売り上げはいか程か…
医療は脆弱、物価は高く、それに関連して働く人の時給は高い。インフラは遅れ、だましだまし使っている。
現在の主力は、空軍と海軍だが、沖縄から海兵隊が移動すれば、風紀は沖縄並みになる可能性もある。
大統領は直接選べないので、票にならないところに、力のある政治家は寄り付かない。
そんな島でも、イパオビーチが好きだ。
それを判ってくれたのか、私の帰国前に、イパオビーチは終日雨を降らせた。
涙雨にしておこう。

グアムの天気予報

グアムの天気予報は潔い。当たるか当たらないかは別として…
今週は雨期の終わりが近づいたのか、雨模様。おまけに帰国日はサンダーストーム。
今朝も稲光と雷鳴が轟いていた。

しかし九州ほどの大きな雲に囲まれているので、雲の移動には時間が掛かりそう。
この雲が発達して日本に近づけば、大型台風になりそうな気配。

こんな時は虹も出て美しい。

晴れ間が現れ、ビーチへ急行。しかし自撮りをしてみると、ローカルカラーに日焼けしていた。関空では、毎度のことだが、顔認証のゲートは通過できないだろう。

シュノーケルで海中を覗いてみた。

珍しい種類は見つからず、いつもの魚が近寄って離れた。こちらもチェックされているようだ。

 

サンゴ群を一回りして顔を上げると、目の前に知り合いのファミリー。
コロンブスデーなのか、小学校は休み。孫を連れ母と娘さんが遊びに来ていた。

ユリちゃんのドローン操縦のスキルも上がっていた。日本のビーチでドローンを飛ばすことはできないと思うが、大らかなグアムだからこそだろう。

思い起こせば…

グアムはこの数日、天気が悪い。日曜日は朝から平和寺にお参りした。
私がグアムに通い出した原点も、ここと関係がある。
南太平洋戦争で戦死した日本人兵士の遺骨は、まだ一万数千柱、日本に戻っていない。
その埋葬場所を、一生懸命探す日本人の依頼を受け。応援に駆け付けたのが縁だった。

ウクライナのように、数か月前に埋められた場所は、市民も見ていたので、すぐに掘り返されたが、70年近く前に米軍に埋葬された場所を特定するのは難しかった。
米軍は埋めた場所も方位で分かり、日にちも数も作業日誌からわかるはず。
しかし日本政府に教えることはなく、教えたとしても掘り返さないことが条件だったかもしれない。
我々は、米軍が埋めた場所を知る老人の話を聞き取り、その場所を掘るにも何も発見できなかった。その老人たちも鬼籍に入り、うわさも聞かなくなった。
米軍は重機で穴を掘り、死体を投げ込んだら埋め戻したのだろう。我々がつるはしやスコップで掘り返したところで、岩盤や根を張るジャングルで見つかるわけはなかった。
埋められた場所は、米軍や個人の敷地だったので、隠密行動の作業だったのでなおさら難しかった。
よしんば見つかったとしても、厚労省は余計なことをしたと顔を顰めたかもしれない。
そんな訳で昨日は、我々の力が及びませんでしたと謝罪とお参りを済ませた。

以前は修学旅行の定番だった場所も、今は静寂に包まれ、日本からの観光客を待っているような気がする。

ビーチへ行く途中、ランチにフーディーズに寄った。隣のハンバーガーを購入。
入り口前に、30前後の女性が座り込んでいた。私たちが食していたら、彼女の姿が見えた。
おなかが空いているようだ。家人がコンボのおまけを持って行った。有難うと受け取り、
そのあと移動して、隣の店へ入った。私は彼女のジーンズの後ろポケットに、ハンバーガーも入っているのを認めた。
彼女はバーガーとオマケのハッシュドポテトを手に入れ、隣の店でペプシを購入して消えた。グアムでは逞しくないと生きていけない。

イパオビーチも小雨がぱらつく天候。

しかし隣接の公園は、企業の総合レクレーションイベントらしく、家族連れの社員が、各自社のテントで食事やお土産をもらっていた。
心配そうな表情の幼女に目が行った。

それもそのはず、ボルダリングのタワーをよじ登っているトップの青シャツと黄色のシャツの少女は、幼女の姉たち。

先にトップの少女が、頂上の赤ボタンを押した。成功だ。

地上に降り立った少女は、周囲にドヤ顔を披露した。やっぱりグアムの女性は逞しい。

Garden Villa Hotel

グアムに滞在中、私たちがどんな生活をしているか、少し説明しよう。
以前、アッパータモンにコンドミニアムを所有していたが、コロナ禍で二年ほど行かなかったら、ローカルの投資家から住まないのなら譲ってくれとオファーがきた。
私もいつまでもグアムに通えるわけではない。この話を受け入れ、清算した。
そんな訳で、今回は二回目だが、ガーデンビラに滞在した。予約はネットから。
レンタカーもネット。飛行機を降りたら、空港内で借りられるので便利だ。
この宿舎は以前倉庫だったらしいが、うまく改造して三階建てのコンドミニアム仕様にしている。
今の部屋は、ベッド4個、バスルーム2個、キッチン、電子レンジ、冷蔵庫が付いている。
当然、弁当以外は食材を購入、基本的に自炊になる。
三泊四日には不経済だが、一週間以上ならお得か…
やはり旅行は、地元のスーパーで仕入れ、料理してみるとその土地の生活が分かる。
部屋の間取りで、料金は変わってくるが、私が借りたのは12日間で、15万円ちょっと。
レンタカーも同じ程度。
ホテルらに比べリーズナブルで、若者の利用者が多い。ちなみにバスルームはトイレと浴槽が一緒なので、使い勝手は良い。
場所はKマートの坂を下り、右折して300mほど。ホテルロードに面しているので、マタパンビーチへ徒歩で行ける。

昨日は終日雨で、ビーチへ行ったが、初めて海に入らずショッピングに費やした。

家人は刑事ものや、裁判のTVドラマが好きで、理解しているのかどうか分からないが、英語の字幕が付いているのは有り難い。

コロナ禍を生き抜いた猛者

ウエスティンリゾートのビーチで、ダイビングショップを営む和田さん。
昨日訪れたのは、この時期ショップをたたんでいたと思い、跡はどうなったのか確認に寄ってみた。
早朝にもかかわらず、本人はいたって元気。スタッフも砂浜の掃除をしていた。
驚きながら、コロナ猛威時期の経過を聴く。
彼曰く、猛威の時は二か月ほど休んだが、その後はオープンしたらしい。
しかし他のホテルの海のショップは、すべて閉鎖していた。
オープンできたわけは、ダイビングは規制が比較的緩やかなうえに、ミリタリーや航空関係の人たちの要望が強かったようだ。
私が彼と知り合ったのは、以前このビーチで泳いでいた時、セスナ機のライセンスを取る前の、規定時間を満たすのに、私ら夫婦に乗ってもらえないかと依頼された。
快く応じた私は、彼の操縦するセスナ機で空から南部一周を楽しんだ。

彼と別れイパオビーチに着くと、雨雲発生。

激しい雨がビーチを襲い、海へ逃げ込む。

40分ほど海に浸かっていると、雨が上がった。

人気が消えた海へ入ることにした。

雨の後だが、水中は澄んでいた。

魚たちは何事もなかったのように泳いでいる。

カメラのせいで緑っぽいが、水族館の中を泳いでいるようにクリアに見える。

群れを作る魚は、漂うように泳いでいた。一時間ほど観察し、陸へ上がった。