長崎の旅は、足腰で決まる

今日は元気なうちに、鍋冠山へ登ることにした。
午前9時過ぎには、グラバー園の入り口に到着。
すぐそばの登り口からスタートする…と言っても私の小学生の頃は、ここはチャンバラ街道。遠足の帰りに、ガキ仲間とつるんで、遊びの残業に精を出した。

今は登り口から100mほどは、細い道の両側に民家、その後は頂上までハイキングコースになってる。驚いたことに、車が上がれる道も付いていて、タクシーを利用する観光客もいた。

確かに頂上からの景色は素晴らしく、稲佐山の対岸に位置するから、両方の山に登れば、長崎港を全て 見た事になるだろう。

三菱造船所が正面に見えるので、中国のスパイが覗き見をするには、ベストな場所…と言っておこう。

正面の小山の頂上には、むかし測候所があり、漁船が発する無線を傍受するアンテナ塔が建っていた。戦時中は小山の頂上に据えられた大砲が、正午に空砲を撃って、時刻を知らせていたので、大砲のドンと鳴る音で、周辺の人たちは「ドンの山」と呼んでいたらしい。
私の父親は、漁船から送られてくる天候の情報を元に、海洋気象台の予報室で天気図を描いていた。
ここは気象台の有る南山手町から離れていたので、私たち一家は、
ここ元町に五年ほど住み、便利な南山手町へ引っ越した。

汗だくになって、鍋冠山を上り下りした私と家人は、石橋駅からチン電で長崎駅まで移動。
そのあと諏訪神社へお参りに行った。でも本殿までは急坂だと聞いていたので、タクシーを使う。

鍋冠山を登った後だったので、エネルギーは枯渇、階段横の車道から本殿へ…
帰りはもちろん歩いて下った。

一番下から徒歩なら、相当な運動量だろう。
ローカルニュースでは、おくんちに備え、根曳きする若い衆が、汗だくで階段上りを練習している。

境内では桟敷席の仮設工事が始まっており、
長崎くんちの熱気がこちらにまで伝わってくる。

神社を後にして向かったのは、長崎市役所。別に特別な用事はなかったが、昼前だったので、市役所の食堂にお邪魔する。
今日の日替わり弁当は、写真の通り。近所で働いている職人さんや、子連れの若い母親も来ていて、建物が新しいので、開店間もないファミレスのようだ。
山登りのエネルギーを、ここで安く補充する…550円

ランチの後、路線バスで「女神」まで行き、女神大橋を見上げるが、上まで徒歩で行くエネルギーは残っていなかった。今回はレンタカーを利用していないから、
長崎の旅もここで終わり、明日の帰宅に備えた。

バスを乗り継ぎバイオパークへ

長崎滞在もあと三日。
そんな訳で、午前九時過ぎには、宿舎から活水女子大学前の坂を下り、新中華街へ向かった。ここのバスターミナル迄、徒歩15分ほど。
バスを乗り継ぎ向かったのは、長崎市郊外のバイオパーク
長崎物知り博士のブロガー、otanさんに教えてもらった動物とのふれあい動物園

バスは長崎駅経由で、時津北ターミナル乗り換え、前日行った琴海ゴルフ場を超え更に30分ほど。園内に入ると、この丘を歩きながら周遊する。

ミーアキャットは想像していたより小さい。

サルはどの種類も活発だ。

カピバラは穏やか、触られても嬉しそう

リスざるは、連れ持って歩く

園内フリーに散策できるが、この猿の場所には、若いスタッフが立っていた。
小さいサルだが触りながら餌もやれる。ところが慣れてくると、お客のトートバッグなどに隠れ、そのままエリアから離れることもあると言う。
スタッフは見張りの役目らしい。

私はオーストラリアのゴルフ場で、飛び跳ねるカンガルーを見ていたので、集団でごろ寝しているのは物足りない。

遠方なので路線バス乗り遅れると、あとが面倒。二時ごろバス停に戻って来た。

隣のヤンキー婆さんも疲れたのか、眼が猿に似てきた。

帰りも終点、新中華街でバスを降りたが、中華屋さんはまだ開いていない。
ブラブラ歩いて、チン電石橋駅横のスーパーへ寄り、夕餉の食材を購入する。
きびなごの造りと、クジラのベーコンを手に入れた。
両方とも自宅近くのイオンには見当たらないので、久しぶりの懐かしい、ご馳走になった。

なってみたいプロゴルファー

今日は何故か長崎市の電車もバスも無料
そんな訳で、石橋駅から長崎駅までチン電を利用。
着いたらゴルフ場までの送迎バスが待機していた。
乗ること40分ほど、パサージュ琴海アイランドGCに到着。
イベントは本女子プロ選手権コニカミノルタ杯のメジャー大会
お目当ては、長崎出身のご当地プロ、櫻井 心那の応援
しかし今週は縁が無かったのか、早々と優勝戦線から脱落
それでも大阪から駆け付けたので、姿だけは拝ませてもらった。結果は20位タイ
グリーンが熱波で焼け、芝の状態に合わせられなかったのだろう。

しかし条件はみな同じなので、経験の差が現れた感じ。

最終組が10番をスタートするのを観ていた。小祝さくら、西郷 真央、神谷 そら

勝ったのは、神谷 そら
日本も、パワーゴルフの世界になったようだ。櫻井と同じような体型から飛ばすドライバーショットは、外人に負けていない。小技が上手くなれば、互角に戦える逸材だろう。

私の孫娘の名前と同じなので、櫻井ともども、これからも応援したい。

カントリークラブの環境は申し分ないほど素晴らしい。
私がまだ現役だったら、メンバーになりたいほどのリゾート感

結論から言えば、ゴルフは観るものではなく、プレーする方が数百倍楽しい
そんな訳で、生まれ変わればプロゴルファー、この夢は今も変わらないのである。

センチメンタルジャーニー 2

家人は動物好きなので、ペンギン水族館へ連れて行く積りだったが、羽毛の生え変わる時期閉鎖中。そんな訳で、予定を変更して卒業した学校を見に行くことに。
この広場の下に北大浦小学校、そこに三年間在籍した。
この広場で三角ベースの野球をした記憶が蘇る。
小石を新聞紙で硬く包み、周囲を布で覆い縫い上げ、ボールの形を作る。
バットは棍棒。ホームと一塁と三塁の三角。
しかし小学校は、統廃合で消えてしまっていた。

それではと言うことで、転校した浪の平小学校を見に行く。
登下校途中にあるマリア園の前を通った。
ここは児童養護施設。戦争で親を亡くした児童のために、フランス人修道士が設計、
シスターたちが生活を共にしていて、小学校の各クラスに必ず在籍していた。
私のクラスにも居たが、いつも沈んでいた姿を思い出す。

ここを森トラストが買い取り、超高級ホテルに改造中。レンガ造りの外壁を残し、内部はスケルトン状態になっている。

現在のマリア園は、近くに移転し運営は続けているようだが、障害者支援施設になっているので、むかしとは違う運営だろう。

200mほど近くに建っていた浪の平小学校。私はここに四年生から編入、南山手町に住むようになった。ここも統廃合で校舎は消えてしまっている。
ここの思い出は、クラス全員が裏山で、野生植物の勉強をしていたが、男子は遊びに夢中になり、畑の中で追い掛けっこ。1人が畑の隅に隠れていた肥えタゴにダイビング。
あとは想像にお任せする…
トンデモない結末に、半世紀経っても、笑い話の種になっていた。

正面の高台の建物は、長崎海洋気象台。現在は単なる地方気象台変わったが、私の家はこの敷地の中の官舎だった。当然消えてしまって、大きなクスノキが残っているだけ。
右の茂った立樹の敷地は、ロシア領事館のモノだと言い張っているので、日本人は手を付けていないが、場所がイイので早く没収して長崎市のモノにすればいいのに…
といつも思っていた。

この坂を登れば自宅に近づくので、私には生活道路だった。

時間つぶしに、長崎初心者の家人を連れ、稲佐山へ行くことにした。
長崎駅から路線バスを利用、ロープウエーで頂上へ…

長崎港の外海に、昨日見学した軍艦島が浮かんで見える

眼を左に転ずれば、ジャパネットたかたグループが運営するサッカー場が建設中。

稲佐山から下りて向かったのは、わが母校、長崎県立西高
当時は木造二階建て、今はグランドにプールも出来、水球は強いらしい。
しかし私にイイ思い出は少ない。
完全なる受験校だったので、楽しい思い出は少ない。

しかし歩き疲れた表情
三年になると、日本史が専門の担任、進路指導で私に相談もせずに、母親には料理人になることを薦めたらしい。アホか…本人が先やろう。
順番を間違えるような奴に、歴史を教えてもらったのは間違いだった。

そんなボヤキを吐きながら、今日は遅刻坂を下りて行った。

成功、軍艦島上陸 !

今朝は宿舎を出ると、オランダ坂を下り、市立梅香崎中学校の前に出た。
私の母校だ。しかし昔は、木造二階建て。終戦もそう遠くない過去だったので、今なら暴力教師で問題になるような人もいた。

私立海星中学校は、坂の上に位置し、ライバル心はあった。

70年近く前の事を、必死に思い出しながら着いたのは、松ヶ枝町の公園辺り。

ぶらつきながら、大波止のフェリーターミナルに到着。
ネットで注文していたので、誓約書を記入し、チケットを購入。
目的地は、長崎港から南西に約18kmの軍艦島

午後1時に出港。
お客は約200名強で満席。しかし悪天候で、年間100日ほどしか上陸できない、狭き門。

乗船が近づき、上陸の許可がおりる。関東方面は豪雨なのに申し訳ないが、チャンスも逃せない。

注意事項が船内放送であり、慎重に上陸。お客は三班に分かれ、柵の中を移動。
それぞれにガイドが付いていた。

島の頂上に立つ宿舎は、幹部が住み、風呂も各戸に付いていたようだ。
しかし炭鉱で働く人たちの宿舎は、共同で使用されていたらしい。

手前の宿舎は、日本で初めての鉄筋コンクリートの建物。しかし劣化が進み、今年台風が直撃すれば、倒壊の恐れがあるらしい。
そんな訳で、この島に興味のある人は、なるべく早い時期に訪れる方がイイだろう。
それも運しだい…

このコンクリートの塊は、削岩機で割ったのではなく、波の力で削られたらしい。

波の強さは、頂上の宿舎まで到達する時もあり、いかに大きな波かも、すぐには理解できなかった。

島の滞在時間は数十分。三か所を見学、船に戻る。

既に次の見学船が待っていた。

大波止の桟橋に接岸、下船時に島の上陸証明書をもらった。
質屋に入れるほど値打ちがあるとは思えないが、今回の旅の大きな目的を1つクリアした安ど感は、カネで買えるものではなかった。